発展の歴史
もともとは広く多角的に意見を集めるため、ブレインストーミングを改良した「パルス討論」という技法がKJ法の体系に組み込まれたことに始まります(パルス討論は1975年7月に正式にKJ法のカリキュラムに加わりました)
パルス討論は、最初は多種多様な情報を集めるために行われていましたが、やがて統合的色彩も加わるようになりました。
一方、「タッチネッティング(通称TN)」と呼ばれる観察した情報を記録しデータバンク化させる技法もKJ法の中で発達し、やがて「探検ネット(通称"花火")」と呼ばれるようになりました(タッチネッティングは1976年8月に正式にKJ法のカリキュラムに加わりました。
しかしこの頃は、まだ手順が明確ではなく、KJ法と混同する人も多くいました。実際、1970年に川喜田二郎が作成した図解にも、KJ法と探検ネットが一体になった図解があるのです。現在では体系として明確に区分され、意識的に使い分けるようになっています)
情報を収集するための「探検型花火」は、情報を短時間で簡易的にまとめる「統合型花火」と呼ばれる技法と組み合わされて使われるようになり"考える花火"と名づけられました。"考える花火"が成立したのは1981年1月のことです。